師走に想う(2025年12月)
今年ノーベル生理学医学賞を受賞した阪大の坂口志文さんと化学賞を受賞した京大の北川進さんは、1970年に京都大学の医学部と工学部に入学した同級生です。
二人は74歳で、ノーベル賞を取るためには ある程度長生きしないといけないのは巷間よく言われます。その成り立ちから、自然科学の3賞とは別物と考えられますが、これからもずっと長生きしてもらって、“村上春樹は今年もノーベル文学賞を取れなかった”とニュースに取り上げて欲しいです。東大総長だった、文芸や映画評論でも有名な蓮實重彦は“村上春樹の小説は結婚詐欺のようだ”と言い得て妙な表現をしたことがありますが、私は「風の歌を聴け」からリアルタイムで愛読してきました。
医学の臨床では、1年目のペーペーでも“先生、先生”と呼ばれて気持ち悪いですが、基礎研究の世界では、教授でも大学院生でもみんな“さん付け”で、私が基礎に遊びに行った時は新鮮でした。
子供たちに伝えたい言葉として、北川進さんはルイ・パスツールの“幸運は準備された心にのみ宿る”という名言をあげました。私が研究の真似事をしている際に言っていた“小さい努力、大きな成果”とはえらい違いです。
日本の自然科学のノーベル賞受賞者は圧倒的に公立高校(昔は旧制の公立中学)出身者が多いそうです。1973年に物理学賞を受賞した江崎玲於奈さんが旧制同志社中学(→旧制三高→東大理学部)、2001年に化学賞を受賞した野依良治さんが灘高校(→京大工学部)を卒業した以外は全て公立高校(旧制公立中学)だそうです。私の同級生が、都会の子供は“小学4年から進学塾に入り、私立の中高一貫校に入学し、鉄緑会で勉強するだけ”と言っていました。そのルートで育って来た要領が良い若者は、地道な基礎研究など選ばずに、もっと手っ取り早く高収入が得られる道に進みがちなのでしょうか。
太宰治的に言うと、“恥の多い生涯を送って来ました。”最近、丸善京都本店や大垣書店京都本店へ行っても、あまり長く滞在できなくなり、煌びやかなブランドが並ぶ百貨店へ行っても、ときめかなくなりました。“皮相的かつ衒学的”でない私は私ではないと深く反省し、ミーハー道に今後も精進して参る所存です。
音楽の素養がない私は、“まずは名曲名盤を聴いてみよう”と、音楽之友社「レコード芸術」編のクラシック名曲名盤ムックを頼りにレコードやCDを購入していました。今や、 Apple Music Classical で同じ楽曲を様々なアーティストが演奏をしているのを、いとも簡単に聴き比べることができます。「レコード芸術」も2023年に休刊してしまいました。それでも、拠り所が欲しくて、(2023年刊行の)最後のクラシック名曲名盤ムックと言われているものを買いました。バッハのゴルトベルク協奏曲1位がグールドでなくシュタイアーに、管弦楽組曲やブランデンブルク協奏曲から万年1位のリヒターが消え、レオンハルトもコープマンも圏外に、ベートーヴェンの交響曲第5番の前回1位クライバーは0票など、明らかに意図された地殻変動が見られます。私は古い人間なので、2011年刊行のムックを参考にしようと思います。
京都のモダンと伝統〜Venaと東寺(2025年11月)
妻と長女と3人で京都市のイタリア料理「Vena」に伺いました。シェフの早川大樹さんは、「イル・ギオットーネ」で修業を積み、2016年にソムリエの池本洋司さんとともに「Vena」を開業されたそうです。
個室は、和と北欧のヴィンテージインテリアのコラボでした。料理は、オーソドックスなイタリアンというよりは、素材を活かした「ラ ヌオーヴァ クッチーナ イタリアーナ」と感じられ、「イル・ギオットーネ」の趣ともかなり異なるように思われます。よく吟味されたエレガントなコースでした。
ワインはペアリングを頼みましたが、素晴らしかったです。
今年は、「Restaurant MOTOÏ」、Ristorante「DODICI」での食事も美味しかったですが、ミシュランの星付き店でもそれほどでもない場合もありました。
「味味香」のカレーうどんや「田毎」のたぬきそばなどが大好物なのは言うまでもありません。
五重塔初層と宝物館の特別公開があり、東寺へ行きました。平安遷都とともに建立された東寺はもともと官寺であり、桓武天皇の後に即位した嵯峨天皇が、唐で新しい仏教、密教を学んで帰国した弘法大師空海に下賜されました。
私のような人格の者にとってさえ、東寺の境内に入ると、その凛とした風格に触れ、アンビバレントとも言える「穏やかな緊張感」を感じます。京都のお寺の中では一番好きです。
NHK BSの番組「京都人の密かな愉しみ」にあるように、伝統文化を守り、でも新し物好きな京都は奥が深く、それだけに尊敬もされ、嫌われもするのでしょう。
斑鳩の里での再会(2025年10月)
奈良国立博物館の「超 国宝ー祈りのかがやきー」で出会った法隆寺の「観音菩薩立像(百済観音)」と中宮寺の菩薩半跏像(伝如意輪観音)に再会するために、長女と奈良県斑鳩町へ向かいました。
本来いるべき場所に戻られた百済観音と菩薩半跏像は、悠然と気品を持って私たちを迎え入れてくださいました。寺側が誂えた、他の仏像とは異なる特別待遇のディスプレイには驚かされました。
みうらじゅん氏は小学生の頃から“法隆寺は日本一の寺だ”と彼の「仏像スクラップブック」に記しており、「見仏記」では法隆寺の金堂で“住みたいよねえ、ここに”と呟いています。私も斑鳩町の静謐な雰囲気に魅了され、(インバウンドの外国人も奈良市内に比べると圧倒的に少ないし、)“境内に住むのは難しいだろうけど、法隆寺付近に住んでも良いなあ”と思いました。
昼食は「平宗法隆寺店」で奈良ランチをいただき、帰りに「ふふ奈良」でお茶して帰宅しました。素晴らしい一日でした。
また奈良へ行く(2025年9月)
とても気に入ってしまった奈良へ、夏に何回か訪れました。興福寺、東大寺、春日大社という奈良を代表する寺社にはやはり圧倒されました。そして、漏れ無く鹿がついてくるので、とてもほっこりします。
奈良観光の際は、「つる由」やJWマリオットホテル奈良の「校倉」でランチをいただきました。
京都に比べて、リーズナブルな価格で美味しい料理がいただけます。
真夏に想う(2025年8月)
現在の私の脳内リピートフレーズは、矢沢永吉「YES MY LOVE」の“24時間もたない恋の 熱をさらって southern breeze”と、ちゃんみな「ハレンチ」の“音沙汰ないから帰ったの 君しかいないとか言ってよ ふらつきたいから愛したの タリラリラッタッタララ”の2楽句であり、言うまでもなく「MUSIC AWARDS JAPAN 2025」の影響です。永ちゃんについては、中学生の頃に同級生に薦められて、キャロルの「ルイジアンナ」と「ファンキー・モンキー・ベイビー」のレコードを借りて聴いた時の衝撃は忘れられません。ちゃんみなについては、そのパフォーマンスは素晴らしいものの、若干既視感がありますが、プロデュースしているHANAを含めて、現在ヒットチャートを席巻しています。
会場の「ロームシアター京都(京都会館)」は岡崎のマンションから歩いてすぐで、「京都モダンテラス」で長女が同志社大学(法法)時代にバイトしていましたし、会館内のスペースでは長男が阪大医学部を卒業後、京大総合人間学部に入学するまで受験勉強をしていました。(家では勉強できないらしい。)
“MUSIC AWARDS JAPANの選考は透明性と公平性を守るため、開票、投票結果をCEIPAGAが厳重に管理しています。We are children of music.私たちは音楽のこどもだ。”と宣言し、音楽業界への忖度なし、ということです。かつてジャニーズ事務所はNHKと蜜月、スタートエンターテイメントの現在は微妙な関係ですので、会場には不在であったSnow Manが最優秀アイドル賞に選ばれたことは、忖度なしの現れでしょうか。
アフガンハウンドのルイのシャンプー・コンディショナーを「プラッシュパピー」のものに変えました。毛玉発生率が減少し、ブラシ通りが良くなり、上上です。本当はトリミングを頼まないといけないのですが、近隣のサロンにお願いするのは難かしそうです。
私は母方のお墓参りのために、ほぼ毎月丹波市氷上町柿柴へ向かいます。ある日、近くのyoumeタウンの素敵なチョイスとディスプレイだった書店と時計メガネ店が無くなっており、路面店のユニクロまでもが閉店していました。(随分前に天下一品も閉店。)たまに訪れる私でさえ寂しく思うので、丹波市の住民の方々にとっては残念なことでしょうね。都会で店舗が閉店しても、近くに同じブランドの店があったり、たくさんの同業店があったりするので目立ちませんが、地方ではよく利用していた店舗が無くなると、近隣の町に行かなくてはならないので大変です。
ラダーフレームの四駆(2025年7月)
納車されてから17年目に突入したジープ・ラングラー(JK)・アンリミテッド・ルビコン(V6 3.8L)で雪道ドライブを楽しんでいた今冬、トランスファーレバーを4WD Highに入れると「ガタン」と異音が鳴り、アイドリング状態になって動かなくなりました。積雪を求めて福知山よりさらに北部の街にやって来ていたので、自宅まで辿り着けるか心配になりましたが、なぜか4WD Lowにすると前進可能になり、低速で無事自宅車庫まで帰って来ました。ほっとして、シフトレバーをP(パーキング)の位置に戻して、エンジンを切りました。
その後、エンジンをかけようとしても、シフトレバーはPの位置なのに、モニターにはR(リバース)が表示され、シフトレバーが動かず、エンジンもPやN(ニュートラル)では無いため始動しません。シフトロック解除ボタンがあることに気づき、シフトレバーは動くようになりましたが、やはりモニターはRのままです。
いつも車検をお願いしている京都マツダ西五条店の担当の方がジープ箕面へ紹介してくださり、修理してもらいました。2輪4輪駆動トランスファーレバーケーブルとシフトケーブルの経年劣化による症状だったようで、致命的な原因ではありませんでした。
怪我を負いながら、ルビコン号は私を無事自宅まで連れて帰ってくれて、一層愛おしく感じられました。
そして、新しい車がやって来ました。ラダーフレームの四駆という点ではルビコン号と一緒ですが、そのコンセプトは軍用車両(military vehicle)として開発された当初とは今や別物で、世間的にはむしろエルメスのバーキンやロレックスのデイトナと同じカテゴリーかと思われます。
以前から何回か声をかけていただいていたのですが、やがて型式が変わり、ローンチ・エディションはインテリアの関係でパスしました。今回は内外装をフルオーダーできるという魅力的なお誘いに乗りました。negativeな部分を消していき、とてもよい車になっています。是非スタッドレスタイヤを履いて雪道走行したいですが、渡河走行、泥炭地走行はやめておこうと思います。(能力的には勿体無いけれど。)
「DODICI」と京都国立博物館「日本、美のるつぼー異文化交流の軌跡ー」2025年6月)
奈良国立博物館の「超 国宝ー祈りのかがやきー」の後に、大阪市立美術館の「日本国宝展」に行きました。雪舟、狩野永徳、俵屋宗達、尾形光琳、伊藤若冲、円山応挙など綺羅星の如く並んでいました。大阪市立美術館はリニューアル後らしく、空調など快適でした。(お隣の天王寺動物園にも行きたかったですが、時間がなくて諦めました。)
6月になって京都へ行き、京都市役所の近くのRistorante「DODICI」でランチをしました。全10品の方を選びましたが、久し振りに料理に感動しました。DODICIとはイタリア語で12という意味で、四季を感じられる食材をふんだんに使用し、12ヶ月毎月来店しても新しい発見ができる、というコンセプトのようです。イタリア料理の王道を守りながら、新しい趣向も取り入れ、京都石割農園の無農薬野菜、亀岡の京鴨やジビエ、滋賀中川畜産の近江牛など近隣の選りすぐりの食材を使っているということです。各料理には日本的な繊細さが顕れ、多分日本人にとってはイタリアで食べるイタリアンより好ましいと思われます。
6月は「IL PINOLO 梅田」での同窓会、京都の家の至近「Pizzeria Napoletana Da Yuki」でのランチにも参加し、イタリアンのお店によく行きました。それぞれの特徴があり、美味しかったです。
「DODICI」でのランチに満足した後、閉幕近くの京都国立博物館「日本、美のるつぼー異文化交流の軌跡ー」へ向かいました。平日の午後なのに駐車場がいっぱいで、妻の提案により東大路通から京女(京都女子大学)へ向かう女坂のコインパーキングに駐めました。
葛飾北斎のアイコンである木版画「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は北里柴三郎の新千円紙幣の裏にも印刷されていますが、Wikipediaには、“大英博物館の調査によると、5000~8000枚が当時に摺られたと推測されている。また現在、世界中の美術館で約100点ほどが収蔵され、20~30点が市場に流通している可能性が高いとされる。”と記載されています。現代の技術ならば、本物よりずっと鮮やかなレプリカが作製できるでしょうね。
建仁寺蔵で京博寄託である俵屋宗達の「風神雷神図屏風」について、図録には以下のように記述されています。“今や誰もが知る国宝ながら、尾形光琳が本作をもとに「風神雷神図屏風」(東博蔵)を制作したという一事を除き、江戸時代における消息は定かでない。明治17年(1884)のフェノロサによってようやくその存在が歴史に刻まれ、広く知られるようになったのは明治時代後半になってから事である。”“優れた先達として俵屋宗達を位置付けることは、明治時代の日本にとって、西欧的な評価を視野に入れつつ、しかも前時代の価値観をも乗り越えた近代国家としての日本美術史を編むこと、さらにいえば近代日本のアイデンティティの確立とも関わる重要事であった。”
私は以前に京都の丸善で買った風神雷神の扇子を持っていて(安かった)、福知山の自宅3階の廊下の飾り棚に、上村松篁の絵と丹波焼の壺と一緒に置いてあります。その組み合わせに満足していますが、客観的にセンスがいいかどうかはわかりません。
西往寺という名前のお寺は全国に10カ寺あるそうです。(ちなみに一番多いのは観音寺で全国に762カ寺あり、福知山市にも「関西花の寺第一番札所」「丹波西国第一番札所」「丹波古刹第十五番札所」「数珠巡礼」に指定され、あじさい寺でも知られる観音寺があります。)
そのうち京都市の西往寺の「宝誌和尚立像」は顔部分の造作は、面を裂いて観音の姿をあらわしたという説話に基づくものです。奈良時代に中国から伝わったとされる宝誌和尚の姿ですが、日本で唯一現存する作例だそうです。口から小さな阿弥陀立像が六体現れ出る「空也上人立像」(六波羅蜜寺所蔵)などと並んで、誰の目にも印象的であります。
最後に、妻が教えを乞うピラティス・インストラクターの御主人が支配人をされているという「シックスセンシズ京都 節気」でコーヒーブレイクし、少々疲れた身体を休めた後に帰宅しました。
奈良国立博物館「超 国宝ー祈りのかがやきー」(2025年5月)
5月に奈良へ行きました。京都に住んでいる頃、奈良までは結構時間がかかるなと思っていましたが、
京奈和自動車道のおかげで、福知山から奈良まで2時間かからずに着きました。
まず、JWマリオットホテル奈良の“シルクロードの終着点である奈良の地で、
ジャンルを超えたインターナショナル・キュイジーヌを食す”というコンセプトの「シルクロードダイニング」でランチをいただき、「フライングスタッグ」でコーヒーを飲みました。
ここのスペシャルブレンドコーヒーは、最近飲んだコーヒーの中ではダントツの濃厚テイストで、おかわりしました。
(ホテルを再訪し日本料理の「校倉」にも行きましたが、リーズナブルで、良いハーモニーの料理でした。)
その後、奈良国立博物館の「超 国宝ー祈りのかがやきー」へ向かいました。
奈良国立博物館(奈良博)は、明治28年(1895年)に、東京国立博物館(東博)(明治5年(1872年)開館)に次いで日本で2番目の国立博物館として開館しました。
(因みに、京都国立博物館(京博)は明治30年(1897年)開館です。)
今回の「超 国宝ー祈りのかがやきー」の図録において、岩井共二氏の書かれた総論「奈良と奈良博の《超 国宝》」を読み、奈良博と今回の展覧会についてよく理解できました。
他の国立館と違い、“仏教美術及び奈良を中心とした文化財についての、調査研究・展示・収集という博物館活動を行ってきた”ため、“仏教・神道美術を中心とした展覧会にした”ということです。
総論には、1)明治改元の直前慶応4年(1868年)から出された神仏分離令(神仏判然令)に端を発する廃仏毀釈と、2)明治4年(1871年)と8年(1875年)に発せられた上知令による社寺の所領の取り下げにより、
社寺の衰退と文化財の散逸を招いた一方、社会の急激な変革による疲弊から脱却して、近代社会を目指す動きが見られ始め、
その一つが博覧会の開催であった、という歴史が語られています。
会場に入ると、まず目玉である法隆寺の「観音菩薩立像(百済観音)」がお出迎えです。
飛鳥時代に作られた木造彫刻で、以前は外国伝来と考えられていましたが、像身はクスノキ、水瓶と蓮華座がヒノキと日本国内産であることから、現在は日本で制作されたものと見られているそうです。
痩身長躯、小顔の観音様は、スタイル抜群ですが、塗装が剥がれ、或る意味みすぼらしく、この仏像がもし路傍にころがしてあったら、誰も有り難がらないのでは、と私は思いましたが、
それは見る目の無い者の感想であるようです。図録には、“我が国における最初期の木彫仏であり、大陸由来の様式を咀嚼した上で、比類のない造形をなし遂げている。
その価値は日本美術史上に計り知れないものである。”と書かれています。また、仏像マニアの中では、“飛鳥時代だけでなく、全ての時代の日本の仏像の中でも抜群の作品”と考える人や、“法隆寺友の会に入り、百済観音に恋して、虜になった”人もいるらしいです。
和辻哲郎「古寺巡礼」では、“抽象的な「天」が、具象的な「仏」に変化する。その驚異をわれわれは百済観音から感受するのである。
人体の美しさ、慈悲の心の貴さを、人の姿における超人的存在の表現によって理解した。
そこに測り難い深さが見いだされ、そこに浄土の象徴があった。”
と絶賛し、最後には“あの深淵のように凝視している生の美しさが、ただ技巧の拙なるによって生じたとは、わたくしには考えられぬ。”と結んでいます。
「見仏記」でいとうせいこうは“百済観音は拙なる像であるが故に、そのバランスの異常さが見る者の感覚を危うくし、奇妙な作用を生み、内面的な解釈を要求し続けた。
千三百年生き続けてきた甘美な不安という奇跡。”と述べています。一方、みうらじゅんは“法隆寺の百済観音像は、六本木のイケイケギャルの着ているボディコンシャスのルーツである。
体のラインもあらわに、百済観音像は立っておられる。仏像界ではボディコンの他、シースルー・ファッションなども先がけており、その色気は現代にも伝えておられる。
しかし重要な点はボディコン・ギャルの中身であって、仏作って魂入れず、とは全くこの事である。”と流石に素晴らしい感想を語っています。
ミーハーにはたまらない、最澄、空海の書などを拝見し、最後に展示されているのは中宮寺の菩薩半跏像(伝如意輪観音)です。
聖徳太子の母堂がモデルという説もあり、超有名な美形です。
国際美術史学者間では、この像の顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれているそうです。
半跏の姿勢で左の足を垂れ、右の足を膝の上に置き、右手を曲げて、その指先をほのかに頬に触れ、人の悩みをいかにせんかと思惟される清らかな気品をたたえておられ、斑鳩の里に伝統1300余年の法燈を継ぐ中宮寺のこの像は、その御本尊として永遠に私たちを見守ってくださることでしょう。
(京都を北都と呼ぶのに対して、)南都(奈良)の七大寺(東大寺、興福寺、元興寺、西大寺、薬師寺、大安寺、法隆寺)に唐招提寺を加えた八ヶ寺を近いうちに訪れたい、と思っています。
万博はとても面白かった(2025年4月)
妻と北千里のマンションまで車で行き、そこで長女と落ち合い、電車で万博会場へ向かいました。
阪急千里線で北千里駅から堺筋本町駅まで行き、乗り換えてOsakaMetro中央線で夢洲駅まで、久し振りの都会の電車は楽しかったです。
柴島駅は「くにじまえき」と呼び、真ん前に淀川キリスト教病院があるのを知りました。
(随分前の母体搬送の際に、淀キリまで救急車で行ったことがありましたが、真夜中でロケーションがまるでわかりませんでした。)
万博会場では東ゲートで入場のためにまず並び、入場しても人気の国内パビリオンは予約無しではまず入れませんし、
(長女がトライしてくれましたが、予約もなかなか取れません。)
海外パビリオンもイタリア館をはじめ、何時間も並ばないといけません。行列に慣れていなイナカモノには堪えるな、と思っていましたが、
マレーシア館、モザンビーク館などスムーズに入れるところにまず入り、スペイン館のレストランでランチしました。
ピンチョス、牛頬肉、イベリコ豚などを食べ、サングリアなどを飲み、一気に三人の機嫌は上々になりました。
その後、スペイン館、サウジアラビア館などにも入場しましたが、なんといっても我々のお気に入りはコモンズ館です。
待ち時間はほとんどなくてすぐ入れます。“万博の醍醐味はコモンズにあり”とネットにはありますが、
まさにその通りで感動します。名前すら聞いたことがない国があり、アフリカや南米など日本から遠い国や、政情や治安を含めて(実際に戦争や紛争が起こっていて)気軽に行けない国も多く出展しており、
どんなに小さな国でもその国の歴史・文化・宗教があり、自国に対する誇りがあり、色々な人間が多彩な価値観で生きているのを実感できました。
ただし、歴史、文化、宗教に基づくあまりに異なった価値観が国と国の軋轢を生むのだな、とも思われました。大変難しいところです。
いずれにしても、小学5年生以来の大阪万博はとても楽しいものでした。(当時は時間が有り余る程だったので、人気のアメリカ館もソ連館も夕方から夜の空いている時間に堪能しました。)
当初は“気持ち悪い”、“何これ”と言われていた公式キャラクター「ミャクミャク」は大人気ですし、開催意義すら問われていた万博は大賑わいです。
私も、「ミャクミャク」はかわいくない、別に万博行きたくない、と思っていましたので、大阪・関西万博にごめんなさい、面白かったよ、と言わせていただきます。
Theme of Louis:「のびしろ」 by Creepy Nuts(2025年3月)
長女とCreepy Nutsの曲を聞いていた時、「のびしろ」がかかり、妻が“これはLouisの歌だ”と呟きました。
“サボり方とか 甘え方とか 逃げ方とか 言い訳のし方とか やっと覚えて来た 身につけて来た 柔らかい頭”
“もっと覚えたい事が山のようにある…のびしろしか無いわ”
確かにイントロで“ワン”と言っている(ようだ)し、“のびしろしかないワン”と聞こえる(かも知れない)。
Louisはこれまで一緒に暮らしてきたどの犬ともかなり異なり、真っ直ぐで、人間のすることを良く観察していて、自分がやりたい事を追求する犬です。
音楽ナタリーによると、DJ松永が30歳になった時、R-指定が「オジサンだ! キモ!」って言っていたのに、自分も30歳を迎える際、10代からお互いに知ってる2人が三十路を迎える節目に、ポジティブに人間を捉える曲「のびしろ」を作ったようです。
アルバム「Case」において、DJ松永“流れとして、「風来」からいきなり「デジタルタトゥー」に入るのは急すぎるなと。” R-指定“「風来」で「バックレるか」ってテーマを書いたあとに、めちゃめちゃ暗いテーマが来たら起き上がれる?って(笑)。”
でも、岡本家では「のびしろ」はLouisのテーマ曲です。Creepy Nutsの許諾は受けてないけど。
3月17日で、Louisは1歳のお誕生日を迎えました。
“のびしろしかないワン”
Man is mortal part.2(2025年2月)
現在、私の脳内リピート曲は中山美穂が歌う「色・ホワイトブレンド」です。
中山美穂は1985年に放送されたドラマ「毎度おさわがせします」で彗星の如く現れ、同年の初主演ドラマ「夏・体験物語」の主題歌「C」で歌手デビュー、その後も、WANDSとのコラボ「世界中の誰よりきっと」など多くのヒット曲を発表しました。
一気に脚光を浴びたデビュー当時のとまどい、歌手と女優の両立の仕方、多くの人に歌を届けたいという思いなどを語り、“音楽が唯一の救いだった”とかつて中山美穂は吐露していました。
昨年12月6日の突然の訃報の際に、テレビでは1986年中山美穂自身が出演した資生堂の春キャンペーンCMソング「色・ホワイトブレンド」の映像が繰り返し放送されました。(リリース時15歳、キャンペーン時16歳の瑞々しい容姿と歌声はYouTubeで御覧下さい。)
「色・ホワイトブレンド」は、竹内まりやのアルバム「REQUEST」や「Expressions」でのセルフカバーばかり聴いていましたが、中山美穂の「色・ホワイトブレンド」は春の到来を感じさせる名曲です。
Wikipediaによると、“レコーディングの際、竹内まりやは当時まだ小さかった子供を夫の山下達郎に預けてスタジオを訪れ、英語の発音や唄い方などを中山に指導し、コーラスにも参加した”とのことで、歌唱力はまだまだ未熟だったのでしょうが、一生懸命に丁寧に歌っていて好感が持てます。
文学、美術や音楽、演劇などの世界では、表現者が亡くなっても、素晴らしい作品が後世に残ります。
私の母は「細雪」や「海街diary」に出てくるような、美人四姉妹の長女で(笑)、次女(叔母)の御主人が1月10日に亡くなられました。(大学の先輩であり、教授だったので、会う時は敬語で話していました。一応は親戚に当たりますが、ここでも敬語を使用しております。)
叔父の次男により編集された「写真で綴る92年史」は良くできており、読ませていただきました。
物理学か天文学を専攻しようと、京都大学理学部に入学後、医学部に転部されたようです。
卒業後に大学院(病理学)に入学するも、1年で退学し助手に就任、その後渡米しシカゴ大学でチャールズ・ハギンズ教授に師事、岡本耕造教授の指示で一旦帰国、ノーベル医学賞を受賞したばかりのハギンズ教授に准教授として招かれ、再渡米し、薫陶を受けられました。
“発見こそわが仕事”、“血液を手に持つ限り発見のチャンスがある、机に向かっていてはチャンスがない”、“科学と芸術は空想の産物である”、“人間の知力は十九歳から三十五歳までが最高、この期間に発見の喜びを得たら一生続く”などのハギンズ教授の金言を糧に、“彼とは、毎日一対一で研究を語りあった。
私にとり父も同然だった。彼は科学では、常識を越えることの重要さを説き、自然が垣間見せる説明できない現象に疑問を持つことこそ、常識を破る発見の機会であると説いていた。”(残念ながら、発見の喜びは私には無縁でしたが。)
帰国後、京大の旧友である神戸大学医学部の西塚泰美教授(ベルツ賞やガードナー国際賞の受賞者)に請われて神戸大学病理学第二講座教授に就任され、後に医学部長となり、神戸大学学長になった西塚教授と共に大学改革に奮闘されました。
その後、母校である京都大学の病理学第二講座教授に帰任し、伝統ある教室の発展に寄与されました。
退官後は、井村裕夫京大総長に任命され、滋賀県立成人病センター研究所を設立され、所長を務められました。
学生時代は能楽、登山を楽しみ、退官後は三田での農作業に従事し、京都修学院では“猿やイタチが来るので、「猿知恵」と「鼬ごっこ」で防御に苦労している”と記されています。
神戸や京都の教授時代はあまりお話しすることがなかったですが、頭の切れる秀才であり、何より真面目な方でした。(叔母は、“若い頃は、ノーベル賞が取れると思っていた”と言っていました。)
たまたま妻が愛車の2年点検のために京都市のディーラーを訪れた際に、私達がとても頼りにしていた営業の方が2月27日に急逝されたことを知り、帰宅後に私に教えてくれ、ショックを受けました。
営業成績は全国でも指折りで、Stuttgartの本社に表彰・招待されていたようです。容姿も対応もスマートで、些細な疑問にもすぐ対応してくださり、色々な相談にも乗ってくれました。
他のメーカーの車にも詳しく、妻のメルセデスも長男のBMWも彼がうまく下取りに出してくれました。クルマ全般のことについて彼と話すのが楽しみでした。
“Man is mortal”なのですが、特に若くして亡くなった場合は悲しみを強く感じます。
各人がそれぞれの人生において、立派に仕事を果たされ、安らかな眠りについておられますことをお祈りします。
また、御家族の計り知れないご心労がいつか癒される日が来るように願っております。
新春雑感(2025年1月)
Louis君のお陰で、長女が度々家に帰って来てくれます。
お正月は“YouTubeの収益化、特にYouTube Premiumの場合”、“ビールのラガーとエールの違い”、“別れた二人が再会する曲の数々、男女の目線の違い、現在も好きな場合とそうでもない場合”について、一緒に勉強しました。あやふやな知識が、インターネットで簡単に改善されます。
昨年(2024年)のレコード大賞は、Mrs. GREEN APPLEが「ライラック」で、一昨年(2023年)の「ケセラセラ」に次いで、2連覇しました。
Apple Musicのトップ100:日本で、トップ10の過半数はMrs. GREEN APPLEの曲なので妥当な気もしますが、昨年(2024年)は、Creepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」、一昨年(2023年)はYOASOBIの「アイドル」が取るべきだった、と思う人は多いと思います。
尤も、“1969年から70年代のレコード大賞の黄金期は遠く昔、
ノミネートさえ辞退するアーティストが増え、その権威も失墜し、ありがたみも減った”と私が言うと、長女が“でもMrs. GREEN APPLEの大森元貴も最優秀新人賞のこっちのけんとも受賞して涙流してた”と教えてくれました。知らんかったけど、それは良かった。
Apple Musicの都市別トップ25は興味深いですが、日本では東京、大阪、札幌、福岡、どこも変わりばえしませんし、所謂洋楽はほとんどランクインしていません。
日本における洋楽離れが言われる所以です。(欧州、南米、アジアの各国では、アメリカのヒット曲がそれなりに入っています。)
アメリカのトップ100におけるジャンルでは、Hip-hopとR&Bが首位を占め、Pop musicやRock musicのランクインは減少傾向にあります。
Hip-hopの世界では、90年代に血で血を洗う東西海岸ヒップホップ抗争があったようですが、現在はPlayboi Cartiがロサンゼルスに、Kendrick Lamarがニューヨークにチャートインしています。
大学1回生の時に、西海岸から東海岸までグレーハウンド(バス)で横断した時は、Eaglesの「Hotel California」とBilly Joelの「52nd Street」くらい東西が違う印象がありました。
今年も日展を観に京都市京セラ美術館へ行き、堪能しました。特選の4作品のポストカードを購入しました。
猩猩がオランウータンのことと知りました。因みに、黒猩猩はチンパンジー、大猩猩はゴリラだそうです。
「焼入れの紅蓮(ぐれん)の炎冬紅葉」は赤澤寧生氏の書で、“言葉に出会い、その景色に想いを寄せて、筆と墨、硯、画仙紙で限りない空間を表現する。
書の魅力を全身で感じ、大好きな書に毎日向き合える環境に感謝しながら楽しく筆を走らせました。
運筆の速度や筆圧、墨量などに大胆な変化を効かせて立体的な表現を試みました。
可読性にも配慮して制作しました。”とのことです。美しく、大胆な書だと、私にも思えました。