(2018年各種案内)
献杯(2018年12月)
今年2回目の大学の同期会が、祇園甲部歌舞練場近くの「ぎをん桃庭」で開催されました。京都市の基幹病院の手術部長が幹事で、参加メンバーの中で学生時代の容姿を最も保っています。京大医学部臨床教授として教えていますが、自分の学生時代を省みてか、学生に対してとてもゆるくて人気があるようです。
乾杯ではなく、献杯で会は始まりました。いつものように馬鹿話をするはずのメンバーが急逝したからです。テニス部時代は私とダブルスを組んでいた時期がありました。仲良しの同級生たちと、彼と私の車に分乗して、色々なところに行きました。男前で運動神経も良く、女性にモテましたが、学生時代は結構ウブでした。卒業後は小児科医になり、子供やお母さんたちに人気でした。ご長男は京大医学部、ご次男は阪大医学部を卒業して医師になり、メンバーの中でも一番悠悠自適でした。奥様とご一緒に、まだまだたくさんやりたい事があったろうに、とても残念です。みんなに慕われていたので、年明けには偲ぶ会が開かれます。心よりご冥福をお祈りいたします。
食べ急がされるミシュラン三つ星(2018年11月)
10月のとある土曜日に家族4人で昼食をとった。おかもと会である。お店はいつも妻が決め、今回はミシュラン三つ星の和食であった。行く前に、ミシュラン三つ星にしては昼であっても価格が安いな、と思っていたが、値段に見合った安いサービスが提供されるとは知る由もなかった。
まだ食べているのに、次の品を持って来て、冷めないうちに食べろと言う。それの繰り返し。ひどい時は、娘が食事中のお皿を下げようとする。説明によると、12:30の予約に対して、14:30に終わらせたかったようだ。きちんとしたサービスをしても、食べるのが遅くないので、2時間あれば大丈夫だったろうに。夜の懐石はこんなことない、との言い訳に対して、それなら昼の営業をやめたら、とつい言ってしまったのは、いつもの暴言だ、と家族から叱られた。
お店の名前が入ったナプキンを持って帰って良いと言う。口を拭いて汚れた、安っぽい布切れを誰が鞄の中に入れるのであろうか。せめて、お持ち帰りの場合は新品をお持ちしますから、と言ったほうが良い。(この主張に対しては、家族で賛成意見と反対意見に別れた。)
サービスについては、店のスタッフに直接伝えたし、後はもう行かなければ良いだけだ。客のクレームがもっともだ、と思えば改善すれば良いし、勝手なこと言って、と思えば無視すれば良い。
このお店のお見送りについて、あるブログにはこう書いてあった。“お店を出る時も、お化粧の濃い和服の女将?が、つまんなそ〜に見送ってくれ、お約束の5歩歩いて振り返り、の時には、すでにその姿はありませんでした。”今回は、50メートル歩いて振り返ると、まだ女将が立っていた、と子供たちが言っていた。改善したのか、あるいは、お見送りが悪い、と怒って引き返すと思ったのであろうか。
肝心の料理はおいしかった。パイナップルの上に焼物が乗っていたり、デザートの際にドライアイスを用いたスモークの演出があったりするのは、京懐石では邪道だ、と言う意見と、楽しくて良い、と言う意見があるだろう。それならば、サービスはあかんかったけど、お味は美味しゅうございました、と言えば良かったのに、と家族に突っ込まれたけど、味はそこそこおいしかった、と言った筈。そこそこが余分か。
ミシュラン一つ星から二つ星になって、値段が倍以上に上がり、かつての常連の顰蹙を買っている、私も連れて行ってもらった和食店がある、と大学の同級生から聞く。客がカウンターに並んで、一斉にヨーイドンで食べる、自分のペースで食べることができない、なんとも味気ない、でも大人気の割烹へ行って来たと妻は言う。和食の店もビジネスだから、人気が出て、有名になって、客単価を上昇させ、儲けたいであろう。そして、名を上げれば上げるほど、毀誉褒貶も激しくなるのは世の常。
基礎医学では自己主張しなければ生き残れない(2018年10月)
本庶佑京大特別教授がノーベル生理学・医学賞を受賞されました。私が入学した当時、医化学教室は早石修先生(阪大医学部卒)、沼正作先生という二大巨頭が教授をされており、京大医学部の中でも図抜けた存在でした。本庶先生は早石先生の後任として、大阪大学医学部遺伝学教室から帰ってこられ、当時から有名な教授でした。また、本庶先生は京大医学部芝蘭会硬式庭球部の顧問をしてくださいました。
医学部卒の日本人ノーベル賞受賞者は京大iPS研究所の山中伸弥教授(神戸大医学部卒)に次いで、まだ二人目です。基礎研究する場合、臨床医学を学んだり、医師国家試験を受けたりする医学部は不利と言われています。
本庶先生は卒後すぐに基礎研究者になられました。一方、山中教授や現在の京大医学研究科長・医学部長の岩井一宏教授は(私の同級生ですが、)臨床医をした後に、基礎医学の道に進みました。回り道をしたというデメリットもあれば、患者さんを診察した経験を研究に生かすというメリットもあるのでしょうか。何れにしても、私には想像もつかない世界で、基礎医学の世界では、確固たる意思を持って、失敗を重ね、ようやく成功して結果を得、場合によっては傲慢にも見える自己主張をしなければ生き残っていけないのではないでしょうか。
本庶先生が受賞後のインタビューで、教科書を信じるな(これは他の成功者もよく言われます)、ネイチャーやサイエンスの論文で10年後に残っているのは1割、と語ったのはとても印象的でした。
西医体準優勝!阪大医学部サッカー部/全米オープンテニスでの日本人の活躍(2018年9月)
大阪大学医学部サッカー部は今年も快進撃を見せ、西医体で決勝に進出しました。決勝戦では、後半アディショナルタイムに広島大学に1点を決められ惜敗。残念だったけど、よく頑張りました。来年こそ優勝してください。
全米オープンテニスで大坂なおみ選手は一発回答で優勝しました。一体どこまで行くのでしょうか。錦織圭選手は2014年が本当に惜しかった。準々決勝のワウリンカ戦、準決勝のジョコビッチ戦で疲労困憊し、決勝のチリッチ戦には体力が残っていなかった。でも、今年はそのチリッチに勝ち、ベスト4。きっといつの日か、吉報を期待しています。
まぶだち会(2018年8月)
私が研究の真似事をしていた京都大学放射線生物研究センター晩発効果研究部門で教授秘書をされていた女性と、医学部学生だった後輩の男性と私の3人で構成されるまぶだち会は、本来なら高台寺のフレンチレストラン(と岡崎邸)で開催される予定でしたが、私の都合により福知山のお肉料理の店(と自宅)に変更されました。あいにくの台風接近で帰りの電車の運行状況をにらみながらの会でしたが、お互い歳はとっても昔どおりの楽しい会でした。お二人の益々の御活躍を祈っています。
タテカンは京大の景観(2018年7月)
私たちが学生の頃の教養部構内のトイレは汚かったが、そこにある落書きは文学的なもの、哲学的なもの、政治的なもの、或いは数学的なもの、物理学的なものなどが混在したカオスであり、それなりにアカデミックではあった。現在の吉田キャンパスのトイレはおしり洗浄器付きの清潔なものになり、隔世の感がある。
さて、京大のタテカン論争である。平成18年11月に最終答申が発表された「時を越え光り輝く京都の景観づくり審議会」の長は元京大総長の西島安則氏であったが、この時彼の脳裏に京大のタテカンがあったかは今となっては知る由も無い。現在京都市当局はタテカンを無秩序に設置された屋外広告物と看做していることは間違いない。阿呆な事である。タテカンは広告物では無く、言論の媒体の一つである。大学とは、多様な意見を呑み込み、一見社会の役に立たない研究であってもその存在を認めるところである。そう、混沌こそ大学のあるべき姿である。また、若い時こそ、体制の矛盾に反発するべきである。(そのうち分別ができれば、反体制ばかりじゃいられなくなるし。)大体、学生がいない5月13日の日曜日に、しかも(京都市ではなく)京大の職員がタテカンを撤去するとは。陳腐な安っぽいものは兎も角、意見が合っても違っても主張のあるもの、思わずクスッと笑ってしまうユーモアやウィットに富んだものは残しておくべきである。
とは言うものの、撤去派の意見も理解できないこともない。私は、どちらかと言うとキレイ好きであり、ゴミがない清潔な街並みを望む。自分にとってタテカンが不必要なものであれば、タバコのポイ捨てと同様に憎悪の対象になるのだろう。
撤去数日後に、百万遍界隈をクルマで通った妻は、タテカンいっぱいあったわよ、と言っていた。
カウンターヴェイルのビアンキ(2018年6月)
大学に入って、私が最初に買ったテニスラケットはウィルソンのオートグラフと言うウッドラケットでした。(上手な人はウィルソンのプロスタッフを使っていました。)私の腕では殆どスウィートスポットには当たりませんでしたが、3回生くらいの時にデカラケが登場し、下手なりに少しテニスらしくなりました。その頃から長男がテニス選手をやっている頃までは、テニスラケットのガットにはビブラストップを付けていたものです。時代は進み、錦織圭選手のウィルソンのラケットは、通常のカーボンに比べて衝撃を3割減らせる、マテリアル・サイエンス社が開発したカウンターヴェイルという素材を使っています。グランドスラム大会では5セットマッチが続くので、ラケットの進歩は大きなアドバンテージになります。
このカウンターヴェイルをカーボンフレームに用いたビアンキのロードバイクは、素材の効果を最大限に発揮できるようにチューンナップされ、振動を最大80%減少させ、世界のトップ・ロードレーサー達が、劇的に速くなった、と口にします。私の運動能力ではその真価のほんの一部しか体感できませんが、チェレステとマットブラックのカラーリングにはうっとりします。
自転車の制限速度は車と一緒なので、制限速度30km/hの原付をブチ抜いても構いませんよ、と京都のビアンキバイクストアの立ち上げの際に、東京から助っ人で来ていたビアンキのお兄さんは教えてくれました。
BMWとDUCATI(2018年5月)
福知山市内の道路を車で走っていると、バイク乗りのカップルに遭遇しました。ヘルメットに顔が隠れて、実際の年齢はよくわかりませんが、私よりずっと若いのはまず間違いありません。二人ともブラウンの革ジャンを着て、互いを思いやって、ゆっくり安全運転で、微笑ましかったです。
男性のバイクはBMWのR NINE
Tの派生車種、女性はDUCATIのSCRAMBLERでした。どちらもヘリテージバイクの範疇に入りますが、新しい旬のモデルでもあります。BMWとDUCATIでなくて、ホンダとスズキでも、ヤマハとカワサキでも良いのですが、年配者だけではなく、若者にもバイクを楽しんで欲しいものです。(と、去年の前半まではバイクに興味がなかった私が言うのもなんだかな、ですが。)
日本自動車工業会調べで、1982年のピーク時に328万5000台だったバイクの国内販売台数は、2016年には33万8000台まで落ち込んでいます。もっとも、インドやインドネシア、ベトナムなどアジア諸国ではまだまだ需要があるようですが。
日本では、クルマ/バイク離れ、スキー/ゴルフ離れ、新聞/雑誌/テレビ離れ、CD/映画離れ、百貨店離れなど多くの若者が離れていったものは多種多様に渡ります。これでは、各業界の構造不況も起こります。若者はインターネットとスマホがあればそれで良いのかも知れません。そう言う私も、もはや紙媒体の新聞はとっていませんし、多くの雑誌はdマガジンで読みますからね。
クラシックとモダンと和(2018年4月)
京大医学部2回生から京大病院、県尼、研究室、神戸中央市民時代を通して暮らしていた京都岡崎神宮道の集合住宅は、一昨年スケルトンリノベーションによりリフォームされました。
福知山の自宅はクラシック様式が主ですが、岡崎はLDKがモダン、ベッドルームはクラシック、そしてメインである御茶事に用いる茶室が和とバランスをとっています。(と偉そうに言っていますが、例によって、殆ど妻が考えました。)
隠居したらここに滞在して、歩いたり、自転車に乗ったり、地下鉄やバスを使って、お金を掛けずに上手に京都を楽しみたいと思います。16年間住んだ割に京都の名所旧跡を知らないし、当時とは町も随分変貌を遂げているだろうし。ただ、いつのことになるのやら。
You only see what you know(2018年3月)
You only see what you look for, and you only look for what you know.
これは、放射線医学の世界での格言だそうです。知らないものは見えないのです。神戸市立中央市民病院から福知山に帰った頃とは異なり、産婦人科の講演会に出席するたびに、新しい知見を知ります。いくつになっても、勉強はせなあきまへん。
歯科治療(2018年2月)
脆弱な歯、歪んだ歯並び、そして受け口に生まれついたうえに、管理を怠り不摂生なために私の歯は悲惨な状態で、客商売なのに見場がとても悪い、といつも妻から指摘を受けていました。
観念して、大阪大学歯学部附属病院での妻の担当医であった美人歯科医がおられる千里中央の歯科医院を訪れました。このクリニックは切磋琢磨する若手実力派の歯科医が集う場所と言った雰囲気であり、一人当たり1時間の診療枠を設けるという太っ腹さです。私の担当の先生(男性)はとても感じが良くて、腕も確かで、麻酔も処置も痛くない、何より誠意を持って治療をしていることが明白に感じられるところが素晴らしいと思います。
時代は変わり、最新の知見もやがて古びます。志を持った若い方々がテキパキと頑張る姿や、今よりさらに向上しようとする姿勢はとても尊いものです。
35年ぶりのバイク(2018年1月)
大学4回生の時にホンダのオフロードバイクを手に入れて、医学部講堂の階段を昇ったり降りたり、荒地を走ったりこけたりしていました。
α-STATIONで谷口キヨコさん(キヨピー)が、男が歳とって刺激が欲しい時はバイクかオープンカーへ行く、と言っていました。でも、バイクとオープンカー(コンバーチブル、ロードスター、カブリオレ、スパイダー、バルケッタでも良いけど)は、馬と馬車くらい違います。マツダ・ロードスターは確かに素晴らしい車ですが、人馬一体はバイクの方が圧倒的に強く感じられます。と言う訳で、35年ぶりにバイクを買いました。転倒して、怪我しないように乗ります。
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