(2007年各種案内)
カラキョウ大ブーム(2007年12月)
ネット、新聞、雑誌でご存知の通り、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」は大ベストセラーになっています。アカデミックミーハーを自称する私は、車の雑誌「ENGINE」で昨年紹介されてその存在を知り、読破しました。
新潮文庫の原卓也訳の帯や集英社の「21世紀ドストエフスキーがやってくる」での島田雅彦との対談で、金原ひとみが“上巻読むのに4ヶ月、中・下巻読むのに3日”と語っているのは、この小説を初めて読む人には共感出来るのではないでしょうか。
父のような旧制高校世代には、ドストエフスキーといえば米川正夫訳であり、家にある岩波文庫も河出書房新社の「ドストエフスキー全集」も米川訳です。古くさいと感じるか、より謹厳で文学的と感じるかはその人の世代や読書歴にもよるでしょう。
最近、原訳を読み始めました。(他の数冊と同時進行ですが。)米川訳をもう一度、そして江川卓訳も読んでみたいものです。
陸上競技選手(2007年11月)
福知山市立昭和小学校6年生の岡本浩彦君は、夏休みから11月6日まで、テニスボーイから陸上選手に変身していました。
8月4日の福知山市小学生陸上競技大会800mで2分37秒0、10月7日の京都府小学生陸上競技選手権丹波予選で2分29秒30と記録を伸ばし、10月27日に京都府小学生陸上競技選手権本戦(西京極)に出場しました。福知山で2分40秒、丹波で2分30秒の壁を破り、初めてスパイクを履いて走るので、2分25秒を切るぞと張り切りましたが、そうはうまく事は運びません。予選ブロック1位ながら決勝には残れませんでした。京都府全体にまで範囲を拡げると、健脚自慢で陸上競技の練習を積んでいる子供達がいます。
11月3日に開催された福知山市小学生駅伝大会には福知山市の全27校から59チームが参加しました。岡本君は各校のエースが走る花の1区(1594m)を5分28秒で走り区間賞、総合でも昭和Gチームは2位と健闘しました。
最後に、11月6日に昭和小で毎年行なわれるウォーキングレース(長距離走)で小2からの5連覇を達成し、小学校での陸上競技を卒業しました。関係者から陸上競技の腕の振りを練習すればもっと速くなると指摘されたので、中学では陸上もやってみますか。
SIGHT(2007年10月)
SIGHT(サイト)は、渋谷陽一のロッキング・オン社より刊行される日本の季刊総合誌で、キャッチフレーズは「リベラルに世界を読む」だそうです。Amazonからのお勧めに乗って、2007年刊行の3冊を購入しました。
1999年秋にこの雑誌は創刊されましたが、当時は版型も大きく、「文藝春秋」から「世界」に至るA5版の総合誌とカタログ的消費情報をA4版のカラー印刷に詰め込んだ男性総合誌の両方の内容をやると宣言しており、やや富裕層のやや知的なオヤジをターゲットにしていました。創刊号の表紙を捲るとメルセデスベンツ、PRADA、BVLGARIと広告が続き、イギリス「CAR」誌の徹底批評、パークハイアット東京とザ・リッツ・カールトン大阪の紹介など消費好きブランド好きオヤジの心をくすぐります。北野武、河合隼雄、吉本隆明らの「死と向き合う」特集や、政治経済分野の田中秀征や小野善康のインタビューに、宮台真司や高橋源一郎も混ぜて、知的好奇心あるオヤジの気も引きます。ファッションや音楽は勿論、少女マンガの特集まである、1冊作るの大変だったでしょうと思わせる内容の充実した、或る意味良質な雑誌でした。
ところが、最近のSIGHTは私が創刊号から暫く購読していた頃とは別の雑誌になってしまっていたのですね。カタログ的消費情報は無くなり、多岐に渡る知的好奇心を満足させることも諦めています。やっぱり、1冊で済まさずに「文藝春秋」と「ZINO」とか、「世界」と「BRIO」とか買わなくてはいけないのでしょうか。
それでも最新号には北野武、吉本隆明、田中秀征、小野善康、高橋源一郎、大森望ら創刊号のメンバーは勢揃いしているし、藤原帰一のレギュラー化など渋谷陽一のポリシーは変わってないぜ、というところでしょう。これからも、時代錯誤で反保守の偏った理屈っぽい評論家、編集者と言われようが、愛と平和と自由を訴えるロック野郎でいてくださいね。
2007年夏休み(2007年9月)
2007年夏、暑(熱)かったですね。長男は関西ジュニアテニス選手権、京都サマージュニアテニス選手権、RSK全国選抜ジュニアテニス選手権関西予選、福知山市小学生陸上競技大会800m、4×100mリレー等に出場し、彼なりに全力を尽くしました。納得いく結果もあれば、悔しい思いもしたけれど、相手の子も頑張っているのだから、結果は結果として受け入れなければいけません。(陸上は丹波大会を経て西京極へ行こう。)
長女は、北海道のバレエセミナーに参加しました。全国から、そして海外からも参加している子達に少しは刺激を受けたことでしょう。バレエには技術は勿論、オーラも必要だといいますから簡単ではありませんね。
黒澤明の「白痴」:四方田犬彦(2007年8月)
私にとってはとても面白い映画だったので、2006年8月に黒澤明の「白痴」を賞賛しました。
ところが、最近読んだ集英社の「21世紀ドストエフスキーがやってくる」に掲載されている四方田犬彦氏の評論によると、“黒澤の「白痴」は名作と評判の高い「羅生門」と「生きる」の間にあって、ほとんど語られることもなく、たとえ言及されることがあっても、大概の場合、壮大な失敗作としか評価されない、呪われたフィルムとされている。”らしいです。興味深い評論なので、以下に要約します。
黒澤贔屓のドナルド・リチーですらこの作品を失敗作と見なして、ドストエフスキーを原作としていない「生きる」や「赤ひげ」にはドストエフスキー的な要素が溢れているというのに、「白痴」においてはそれがどこにもないとまで痛烈に批評している。
本来265分の映画が松竹の興行上の理由から182分に短縮して公開された。再公開の際には166分に短縮を強いられ、味気ない字幕による長々とした説明が挿入されている。(松竹は割愛されたフィルムを廃棄した。)アメリカ公開時はさらなる短縮がなされ、テンポがズタズタにされ、一般観客に理解されない、難解で性急な作品として受け取られた。
黒澤版「白痴」に欠落しているものは、キリストの復活、復活の舞台としての大いなる古きロシア、神秘体験と見なされた癲癇という、三つの主題に要約される。だがこうしたことは、もとより黒澤の眼中にないことであった。彼が1951年の時点で捕われていたのは、戦争が原因で死の間際にまで追いつめられた人間が、その原痕を抱えつつ、精神と肉体、物質と意識の両極端を往復しながら、いかにしてニヒリズムを脱却し、魂の救済に到達するかという問題であり、それを二人の男とその媒介者として翻弄される女の宿命として描くことであった。その意味で「白痴」の映画化は、1946年の時点でいささか性急に撮られた「わが青春に悔なし」の教条主義的な戦後をもう一度検討し直し、敗戦後の絶望と意気消沈をより深く見つめようとする監督にとって、どうしても通過しなければならない作業であった。
札幌の雪祭りの夜に行われる仮面カーニバルの場面は、ドストエフスキー研究を革命的に進展させたミハイル・バフチンがいう“ドストエフスキーの小説の根底にあるのは複数の世界観の対決と競合を可能とする祝祭的空間の現出である”という理論に一致する。
赤間の母親の部屋のシークエンスは、ドストエフスキーがいうキリスト教の文脈における象徴的な死と再生とは別物の、黒澤の仏教的な魂の救済を指し示しているのではないか。
成る程ね。この評論のすべてに同意出来る訳ではありませんし、黒澤明の「白痴」が面白いと思ったことに変わりはありません。が、この評論によって作品を一層理解出来たと思います。それが肯定的なものであれ、否定的なものであれ、優れた評論とは膨大な基礎知識と情報を基にして、その知見を社会や世間に知らしめ、対象物に対する理解をより深めるものだと考えられます。
四方田犬彦氏の専攻は比較文学で、「漫画原論」やつげ義春、白土三平の漫画研究等でも有名だそうなので、機会があれば読んでみたいと思います。
モリミーとマキメ(2007年7月)
森見登美彦は1979年生まれで京大農学部卒、万城目学は1976年生まれで京大法学部卒ですから、きっと二人は中央食堂か吉田神社か大文字山で接近遭遇していたことでしょう。しかし、森見氏のブログに本屋大賞授賞式の際に初対面の万城目学氏を「ちょっと手加減して」殴る(おともだちパンチ?)とありますように、学生時代は面識が無かったようです。
森見氏は当初、左京区男子学生の熱狂的支持を得たということですが、然もありなん、特に処女作「太陽の塔」はまさに男汁満開、腐れ大学生の八面六臂の大活躍には涙が出ます。主人公のことを作者自身が自分と似て非なると語っている様に学生時代に経験した事柄に一流の妄想と思索を加味して造り上げた多分私小説でしょう。小説のような生活をしている学生は京大には仰山います。そして、同様の妄想と思索を芸術にまで昇華させる輩も少なくありません。但し人並みはずれた才能を世間が評価してくれるかどうかは判りません。「新釈
走れメロス」の「桜の森の満開の下」に出てくる男は流行作家となり、「山月記」でドストエフスキー的大長編小説を目指す孤高の学生、傲然たる満腔の自信家斎藤秀太郎は大文字山深くに韜晦しましたから。
森見氏は最新作(第六作)のことを“第五男、毛深い子”と呼んでいます。「夜は短し歩けよ乙女」だけは自分の娘であると山本周五郎賞の授賞式で語っていましたので辻褄が合います。確かにこの作品(娘)なら文学少女も安心して読め、左京区男子学生から全国の文学好き老若男女へ読者層を拡げたことでしょう。素材は一緒やけどね。
文系女子が"萌える"へたれ京大生の青春ファンタジー「夜は短し歩けよ乙女」と「鴨川ホルモー」という記事を見たことがあります。私は以前京大生協ルネで、森見登美彦の本と並んで「鴨川ホルモー」と「鹿男あをによし」を見かけて万城目学の存在を初めて知りました。
処女作「鴨川ホルモー」をまず読みました。京大(東)、立命館(西)、龍谷大(南)、京産大(北)のサークルの学生が鬼語を習得し、ホルモーに指示を出し戦わせるという荒唐無稽な話ですが、残念ながら私の琴線には触れませんでした。青春小説としても煮え切らないです。
第二作「鹿男あをによし」の帯には、やっぱりマキメは並みの天才じゃない、という誤った日本語(勿論意識的でしょうが)が書いてあります。一作目のことがあるので期待しないで読み始めました。漱石の「坊ちゃん」を明らかに下敷きにしており、ファンタジーとしても、青春小説としても、歴史ロマンとしても前作とは比較にならないくらい魅力的です。奈良へ行って鹿に逢いたいと心から思えてきました。次も頑張ってね。
森見の「夜は短し歩けよ乙女」と万城目の「鹿男あをによし」は揃って直木賞候補作となったようです。直木賞なんてどうでも良いけど、獲得した方が少し本は売れるかもね。
本屋さんpart.2(ジュンク堂書店)(2007年6月)
Wikipediaによると、ジュンク堂書店の由来は起業した工藤恭孝氏の父親工藤淳氏の名前をひっくり返した「淳工藤」から来ているそうです。神戸市が発祥の地で全国の都市で店舗展開しています。オープンカフェの設置や読書用の椅子を配置するスタイルなどその戦略は他の書店に多大な影響を与えたと言われています。人口20万人位の関東の地方都市で本屋さんに入ってジュンクっぽいなと思ったら、実際にジュンク堂と提携をしていることがありました。私が神戸にいた頃のサンパル店は閉店時間も早いし、その陳列方法、品揃えとも今一歩の感がありましたが、最近行った大阪本店(堂島アバンザ)、京都BAL店は広い割に見やすいし、初めてでもどこにどんな本があるかわかりやすくて良いと思いました。きっと池袋本店(日本最大)や福岡店(西日本最大)へ初めて入ってもすんなり見たい本を探すことができる気がします。ジュンク堂の品揃えは各分野を網羅しています。普段接しないジャンルの専門書のコーナーでは私には理解不能な本が多いですが、必ず入門書的なものも混じっているのでそんな本を冷やかすのも一興です。大型書店を順番に巡っていると自分を全く知らない世界へ連れていってくれたり、こんな分野もあったのかと驚かせてくれたりします。
大学の教養の時にもっと勉強しとけば良かったのに、という声は無視です。仕事に関係のない勉強は人生の何時行なっても良いのです。家の子供は2人とも朝日新聞社から届く「かがくる」、「しゃかぽん」を思いのほか楽しく読んでいます。私もたまに捲れば、知らないこと、読んで楽しいことが結構いっぱいあります。理科でも社会科でも、私の知識は古くて現在は正しくないことも見つかります。確かにインターネットを駆使すれば、専門家顔負けの知識を比較的容易に得ることができます。然し、活字世代と言われようが、書店巡りをして気に入った本と邂逅する歓びは最高です。(本当は大して読書量が多くなく、深く読んでいるとも言えないのでお恥ずかしい限りですが。)
色々なタイプの人がどんな本を求めているのかを観ることも本屋さんの楽しみの一つに挙げられます。教育ママ風の女性が中学受験の問題集を書店員に聞きながら探している普通の風景もありますし、金髪で鼻ピアスのお兄ちゃんが日本の古典を読み耽るミスマッチな情景も風情があります。
バレエpart.2(「アラベスク」とコンクール)(2007年5月)
野球やサッカーをやっている子の大半は、プロ野球やJリーグ(或いはMLBやヨーロッパのプロリーグ)を目標に頑張っているわけではありません。でも、あまり強くないチームや選手にも甲子園や国立競技場へ行く道のりの少なくとも最初の一歩を踏み出す機会が与えられています。これはとても良いことで、頑張った子供たちにとっては、たとえ初戦敗退したとしても一生の思い出になります。
さて、バレエは日本ではピアノなどと同様に‘お稽古ごと’であり、プロを目指す人はやはりほんの一握りです。しかしながら、ローザンヌ国際バレエコンクールとまでは行かなくても、少しでも上を目指す子供たちが日本各地で開催されるコンクールで技術と芸術性を競います。長女とママが初めてバレエコンクールを観て、参加者のバレエの技術とスタイルの良さにびっくりしていました。バレエは一見優雅に見えますが、実際は厳しい競争があるのですね。例えばテニスならば1対1で試合をして勝利した方が強いと明白な結果が出ますが、バレエで拮抗するダンサーがいた場合は審査委員の主観に左右されるわけで、若干の割り切れなさは残りそうですが、それはどんな分野でもあることです。同年代の子供たちが、競い合いながらもライバルとの友情を育む様子は熾烈でありながら微笑ましい部分もあります。
山岸涼子は「舞姫
テレプシコーラ」で手塚治虫文化賞マンガ大賞を最近受賞しました。この作品も良いですが、山岸涼子のバレエ漫画といえば「アラベスク」でしょう。1970年代前半に第1部は「りぼん」、第2部は「花とゆめ」に連載されました。主人公のノンナは繊細で泣き虫、ライバル達の動向に敏感に反応し、バレエの先生であり愛する人ユーリ・ミロノフの態度に喜び、落ち込む。アーシャと一緒になって、ノンナ頑張れ、あなたには素晴らしい才能がある、ミロノフもああ見えてノンナのことをいつも見守っているよ、とつい応援してしまいます。(主人公に感情移入できるのはその作品に魅力があるからであり、作者の思うつぼで良いのです。それで作者も読者も幸せです。)
ユーリ・ミロノフはさすがソビエトの「金の星」、外見にも、クールな行動の裏に垣間見えるバレエに対する強い愛情と情熱にもホレてまうやろ?(by 宴人)。
ミロノフのバレエ学校時代からの親友であり一番のライバルでもあるエドゥアルド・ルキンの西側への亡命、妖艶で精神が屈折したドイツ人ピアニストのカリン・ルービツが引き起こす騒動がこの作品に奥行きを与えているのは言うまでもありません。漫画に限らず、音楽や小説・随筆など、大ベストセラーになっても10年経てば意味のないもの、古さを感じさせるものになってしまうことが多いですが、「アラベスク」は今後何世代にも渡って読み継がれる名作です。
テニスpart.3(京都ジュニア)(2007年4月)
3月26日(月)と29日(木)に京都市小畑川テニスコートで開催された京都府テニス協会主催の京都ジュニアテニス選手権大会男子12歳以下シングルスで、福知山市立昭和小学校6年生の岡本浩彦選手が準優勝しました。同大会は京都府のジュニア選手にとって最も大きな大会で、関西ジュニアテニス選手権の予選も兼ねています。岡本君は第4シードとして出場し、2回戦から準々決勝まで(1セットマッチ)を6-0、6-0、6-2、6-2で勝ち上がりました。準決勝からは3セットマッチになり、京都サマージュニアテニス選手権準決勝、全国選抜ジュニアテニス選手権京都府予選準決勝で連敗した第2シード選手(新中学1年生)に6-3、6-4で快勝しましたが、決勝では関西ジュニアサーキット第5戦(岡本君はベスト8)の優勝者である第1シード選手(新中学1年生)に2-6、1-6で完敗して準優勝でした。
「準決勝で公式戦2連敗していた選手(爽やかな男の子で仲良くしてもらっている)に勝つことが出来たが、決勝は余力が残っていなかったうえに相手(とても良い子で将来日本を代表するプレーヤーになるかも)も強かった。まだまだ力不足です。舞鶴グリーンテニスクラブのコーチや仲間とテニス環境を整えてくれた家族、特に母に感謝しています。テニスに必要なコントロール、コンビネーション、コンセントレーション、コンフィデンスをさらに上のステージに高めたい。」と岡本君は決意を述べています。
以上、長男の自慢話でした。もう十分楽しませてもらったので、6年生になったら勉強頑張ってね。
テニスに必要な4Cは1980年代の名作テニス漫画「フィフティーン・ラブ」で主人公の松本広海(通称ヒロ)がテニスを始めた当時に、(中学)卒業後プロ入り予定の超中学生プレーヤー九童一也に教えてもらったもののパクリです。「テニスの王子様」や「しゃにむにGO」もよろしいが、大滝コーチ御推薦の「フィフティーン・ラブ」も是非お読み下さい。
文武両道(2007年3月)
全国各地の高等学校のホームページを見てみると「我が校は文武両道です」と謳っています。甲子園球児が東大に合格したり、京大大学院で学ぶフィギュアスケート選手が国際大会で活躍したりすると新聞・雑誌も好意的に文武両道と取り上げます。確かに、陸上女子1500m日本記録保持者の小林祐梨子選手が岡山大学に進学すると聞いて、陸上だけではなく勉強も頑張るのだなと良い印象を持ちます。でも、岡山大学に通いながら母校の須磨学園高校を練習拠点にして活動するとか、陸上の大会には大学生としてではなく実業団の豊田自動織機の選手として出場するとか聞くとやや複雑な感じがします。サッカーの平山選手はオランダへ行く時に筑波大学を休学し、やがて退学しましたが、一体何のために進学したのでしょうか?(彼の脇が甘過ぎキャラは面白すぎますが。)
先日、舞鶴グリーンテニスクラブの代表夫人(グリーンママ)と話していた時に「文武両道」の話になりました。グリーンママは明るく聡明な方で、たくさんの子供たちを見てきていますので、文武両道の話にも一家言お持ちでした。
勉強とスポーツの両方で有名な学校があるけど、普通は勉強する子は勉強だけ、スポーツする子はスポーツだけだから、文武両道とは言えない。京都市にもありますが、高等学校の成功例としては賞賛されるべきでしょう。
テニスで京都ジュニア優勝、全国選抜ジュニア等に出場した舞鶴グリーンの女子選手は、準備万端で負けるのは仕方ないが、練習不足で敗れるのは悔しいので、中学できっぱりテニスを止めて勉強に専念したそうです。(勿体無いけど潔い。慶應に入学後はテニスを再開し楽しむ。)
スポーツで全国大会に出場して、勉強で一流大学に入る子はたくさんいます。しかし、スポーツの全国大会で優勝して、超一流大学の最難関学部に入る子はあまり聞いたことがありません。欧米のプロ選手でスポーツ界から引退後に弁護士や他の知的職業に就く人達がいますが、彼らも同じ時期にスポーツと他の仕事を両立させているわけではありません。
そこそこの文武両道は出来ても、本当に頑張るならばどちらかに専念しないといけないというのがグリーンママと私の結論です。スポーツに打ち込むならば、一心不乱に勉強する時間はないでしょう。受験生や学者として勉学に打ち込む時期に、放課後や休日にスポーツをすることは息抜きとして良くても全国や世界を目指すのは無理でしょう。
アイリッシュセター part.2(2007年2月)
愛犬シャルルは大きくなり、外見は飾り毛がまだ短いもののオトナに見えますが、まだまだ行動はコドモのままです。アイリッシュセターはいつまでたってもやんちゃだといいますので、ずっとこのままでしょうか。私はどちらかというと身の回りがきれいでないと落ち着かない方なので、シャルルの破壊活動とメチャするのには最初閉口気味でした。しかしながらもう慣れました。先代のフラッフィー(ゴールデンレトリバー)はトレーニングチャンピオンの子供でよく言うことを聞き、性格もおっとりしていました。一方、シャルルの性格は積極的(ワガママ)で、超明るく、怒られても引きずらない犬です。性格は対照的ですがどちらの犬にもとても癒されています。犬は大きさや種類にかかわらず、飼い主にとってとてもかわいいものですね。
テニスpart.2(コートサーフェス)(2007年1月)
長男が週3回練習をしている舞鶴グリーンテニスクラブは、クレーコート(clay court)です。舞鶴グリーンと宮津のハードコート(hard
court)で1学年上の強豪選手と練習試合をさせてもらった時、彼は「グリーンのコートはずるずるに滑る」と言っていましたが、クレーコートだから滑るのは実は当たり前です。彼のクラブは砂入り人工芝コート(omni
court)とハードコートだから、きっとクレーではあまりやったことが無いのでしょう。最近のジュニアはそういう子が増えてきているそうです。
オムニコートが日本で隆盛を極めているのは、まずメンテナンスが簡単だから、ハードでは足腰に負担があるがクレーは汚れるという我が儘なプレーヤーが多いから、雨に強いからなどでしょうか。しかし、四大大会を含めて海外の主要な大会がオムニで行なわれることは無いので、日本のテニスプレーヤー(特に男子)が国際試合で活躍するためにも、ジュニア育成のためにも、「オムニコートの弊害」がテニス雑誌にしばしば掲載されています。
即ち、「粘ったり、ゲームを組み立てたりできない」、「カウンターパンチに頼る」、「縦の動きができない」、「イレギュラーバウンドに対応できない」云々。男子でスペイン、アルゼンチン、女子でベルギー、ロシアなどのクレー育ちの選手がツアーを席巻している事実もあります。
結局、「選手がサーフェスの特徴を理解して練習に取り組めばオムニでも育成は出来る。ただクレーやハードでも練習する機会と環境も整えるべきだ。」というコーチの意見が正しいのではないかと思います。都市部でも田舎の町でもオムニ以外にもクレーやハードコートはありますから。
尤も、日本のテニスプレーヤー特に男子が世界で活躍できないのは、運動能力の優れた少年がテニスではなく野球などの他のスポーツを選択することが一番の原因でしょう。掲示板に「イチロー(或いはナカタ)がテニスをしていたら、・・・」というのが必ずありますが、日本のテニスがブラジルのサッカー、ニュージーランドのラグビーのような存在であれば、きっと世界トップクラスのテニスプレーヤーも出るのでしょうから。
韓国の女子ゴルフプレーヤーや日本人メジャーリーガーの米国での大活躍の始まりには朴セリや野茂という先駆者の存在があったように、テニスでも日本人のスーパーアスリートが出現しますように!(伊達がウインブルドン準決勝でグラフと戦った試合はNHKの7時のニュースの最中に生中継しました。またあんな風に興奮させて欲しい。)
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